「群馬県教育ビジョン(第4期群馬県教育振興基本計画・令和6年度~令和10年度)原案」に対する意見(2024年1月12日)
(1)P4「Ⅰ はじめに 本計画策定に向けた思い【児童生徒の皆さんへ】」について
根拠の乏しい計画策定者の「思い」に説得力はありません!
児童生徒に向けて「人は、誰しも、生まれついて、自分と社会をより良くしようと願う心やそのために必要な力を持っています。」と呼びかけるこの文章には、児童生徒への激励の意図が込められているようです。しかし、「自分をより良くしよう」はまだしも「社会をより良くしよう」と願う心を万人が生まれながらに持つ、というこの主張は世の中に広く認知されているとはいえず、確たる根拠も示されないため、計画策定者の「思い」とは裏腹に全く説得力に欠けます。2023年8月実施の「若者からの意見聴取ワークショップ」で、「自分とみんなのために働きたい」という気持ちを計画策定者は感じたことをもって、その根拠としたいようですが、限られた参加者による所与のテーマに沿った意見を、そのまますべての人に敷衍するには無理があります。
ましてや、群馬県教委が「群馬県の教育をより良くしていくため」の協力を児童生徒に求めることは、行政機関による自らの計画目標の押しつけであり、「自分の頭で考え、判断し、行動できるようになるための力を身に付けてほしいと願っています」という言葉が虚しく響くばかりです。
この計画が説得力を持ち広く理解されるには、改めて多くの若者からの意見聴取と計画策定者の「思い」の厳正な検証が必要でしょう。
(2)P5「【保護者、教職員、地域の方々…この計画を目にする全ての皆さんへ】」について
「再定義」とは群馬県流の解釈のことですか?
全ての人に向けて「周りを思いやる心と慎ましさ、和を重んじる態度や規範意識の高さなどの日本人の美徳は、今後も持ち続けてほしい素養」「自他の挑戦を素直に認められるように私たちの意識を変えていくことが必要」「日本人には対話する力や調整の経験が不足」「日本の若者の国や社会に対する当事者意識の低さは、与えすぎる教育が要因」などの主張が連なる本項目ですが、ここでも計画策定者の「思い」がずいぶんと高みから一方的に語られるだけなので、多くの人の共感を得ることはないでしょう。
さらに、ここで「自分と社会をより良くしようと願う意志や原動力」を群馬県では「エージェンシー」と呼ぶことが示されますが、自ら「再定義」というように、OECDによるStudent Agency for 2030での定義(変革を起こすために目標を設定し、振り返りながら責任ある行動をとる能力)とはいささか意趣の異なる群馬県独特の解釈です。「エージェンシー」の解釈が国際的な意見の一致のないことをOECDも認めていますが、未だ評価も定まらない中で独特の用語解釈を基盤としているこの計画自体が世界や日本の中で「ガラパゴス化」してしまうことを群馬県民として危惧します。
現代日本の状況を俯瞰的な視点で検証し、本気で変革しようとするのならば、借り物の言葉の再定義ではなく、過去の計画に対する厳正な検証と綿密な意見聴取を行い、客観的な視点と根拠に基づいた計画策定を改めてし直すことを望みます。
(3)P8~11「第1 群馬県教育ビジョン(第4期群馬県教育振興基本計画)策定の基本的な考え方」について
「シドージン」って何ですか?
前項の「エージェンシー」の「ガラパゴス化」問題は、P8にある「始動人」にもそのまま当てはまります。この「始動人」は発案者の思惑が込められたとおぼしき造語ですが、群馬でさえめったに聞くことはありません。理念が理解される以前に、言葉自体が人々の理解を阻害している好例でしょう。多くの人に使われる言葉をある思惑をもって人為的に作り出すことは、そう容易なことではなく、発案者の自己満足と時には他からの失笑を買うだけに終わることもあります。
P11の「群馬県教育ビジョン構造イメージ図」にある政策のナンバリング「①~⑤」の各項は、目次及び各論にある政策の「(ア)・(イ)」下の「a~e」の各項と同一のものと思われますが、いくら原案とはいえ構造イメージ図を構成する名称ですから、少なくともこの計画内での表記を揃える方が理解は進むものと思われます。
(4)P12~18「第2 教育を取り巻く環境 1 教育と子どもの権利」について
内容のズレと表記のミスが目立ちます……
標題の「教育と子どもの権利」に焦点を絞り世界と日本の文献を援用した項目のようですが、P16の「イ 第4期教育基本計画(国)の策定」では大部の「基本計画(国)」に関する記述はほとんどなく、中教審答申「「令和の日本型学校教育」を担う教師の養成・採用・研修等の在り方」に書かれた教職員のあるべき姿や研修機会の確保に関する記述で占められています。もちろんこれも大事な内容ではあるものの「教育と子どもの権利」という標題との関連が少しも見えません。
さらに、この項目では表記に関する問題点が散見されます。その一例として、P12の(1)ア「私たちの未来を共に再想像する:教育のための新しい社会契約(Reimagining Our Futures Together:A new social contract for education)」ですが、その後の数カ所で同じ報告書名として「私たちの未来を一緒に再考する:教育のための新しい社会契約」があり、訳語とはいえ混乱を防ぐためにはどちらかに表記を揃える必要があります。また、同じページの「○人々に生涯を通じて質の高い教育を受ける権利を保証すること」の「保証」は、「権利」に引き継ぐには「保障」を用いる方が意味上からも妥当でしょう。同様に、P14の「大きく二つの問いが掲げられました」では、些末なことですが、その後に 「これらの問に対する答えとして~」とあり、ここも表記を揃える方が適切でしょう。
P15冒頭の「出典:”OECD Future of Education and Skills 2030~」は、P16にも同じ内容の記載がありその都度出典名を示す方針のようですが、P14にある「OECD東北スクール」の語注とおぼしきものがP16に「※OECD東北スクール:~」として出典名と並んで記載され、語注と出典名の記載方針に統一感がありません。この箇所に限らず、語注や図表の記載位置については理解を促すための配慮が欠けています。なお、この出典名の頭についている二重引用符「”」の向きが逆(引用開始位置に終了記号がある)になっているのは、何か深い意図があってのことかもしれませんが、目次を含めたこの原案全体の至る所で同様の表記形態が見られ、どうにも不思議でなりません。
この他、文中に突然現れる意味不明な空白行が無秩序かつ無数にあり、原案とはいえパブリックコメントを募る段階にある県の公的な文書としては、完成度と信頼性が著しく欠けています。作成主体である県教委内で校正ないし査読がしっかり行われていれば、このようなミスは未然に防げる筈です。
(5)P18~24「2 群馬県の状況」について
県教委は群馬県ならではの問題を「自分事化」すべきです!
この項目は群馬県の状況に関するオリジナルな内容のようですが、少子化や学習指導要領の動向など全国に共通する情勢以外は、群馬県の抱える課題や特徴的な問題への対応などの具体的な言及はありません。例えば、群馬県では日本語教育を受ける外国籍の児童生徒数が多いことは触れてあっても、「多文化共生社会の実現を願う」というだけで、実際の教育現場の現状や対応する施策の記述は見当たりません。また、これまでも県の方針として男女共同参画やジェンダー平等を重要な方針に掲げながら、県内に男女別学の公立高校がいまだに多数残る現状への言及は全くありません。これら群馬県ならではの教育現場ではどうにもならない問題に対して、群馬県教委による「自分事化」の気配がない「群馬県の状況」では何の意味もありません。
さらに、この項目でも文章表現と表記に詰めの甘さが目立ちます。例えば、年の表記方法の「西暦年(元号年)」「元号年(西暦年)」「西暦年」「元号年」が無秩序に混在しており、(国外文書の西暦年のみでの表記は当然ですが)計画内での表記のルールを揃える必要があるでしょう。また、P20の「①改訂の基本的な考え方」では行頭位置の不揃いが見られ(同様の不揃いはほかにも多数あり)、P21の「そうした目的を達成するためには、児童生徒一人一人が、「自己指導能力」を身に付けることが必要としています。」では、日本語として読解するには難点がある文章です。また、P22の「カ 外国人児童生徒の状況」にある「自分化・多文化に対する知識~」の「自分化」は、「自文化」の明らかな誤りでしょう。同じ項目には「児童の権利に関する条約等を踏まえ、~」の記述が見られますが、これ以前には「子どもの権利条約」が項目名を含めて何度も登場しているため、ここだけ「児童の権利に関する条約(等)」とするのは不自然です。その他、P24の「(4)第3期群馬県教育振興基本計画の主な成果 と課題」のような無意味な空白や、同ページの「新型コロナウィルス」に見られる表記の不統一(他所では「ウイルス」と表記)など、行政文書作成を主な業務とし報告書などへの朱入れを得意とする群馬県教委事務局の仕事としてはいかがなものでしょう。
(6)P26~29「Ⅱ 総論 1 最上位目標」について
これは「まちづくり」計画ですか?
P5の項目で指摘した「エージェンシー」の群馬県独特の解釈について、この最上位目標ではさらに独自色を強めると共に、計画策定者の本音が垣間見えます。すなわち、P26で「エージェンシー」について「自分と他者を尊重した上で、課題を自分事化し、自ら考え、判断して責任ある行動をとろうとする意志の強さ、そして、多様な価値観の中で、創造的な対話を行おうとする意志の強さ」と「再定義」したにもかかわらず、P29では「「社会をより良くする」ための意識と行動(=エージェンシー)」との文言があり、「エージェンシー」を発揮することによって、「自分をより良くする」というより「社会をより良くする」ことを児童生徒に期待していることが読み取れます。そう考えると、P4の項目で指摘した計画策定者の「思い」も合点がいきます。「たくましく生きる力をはぐくむ」を基本目標に掲げたこれまでの群馬県教育振興基本計画には、まがりなりにも視線の先に子どもたちの姿がありましたが、今回の最上位目標は「自分とみんなのウェルビーイングが重なり合い、高め合う共生社会へ向けて」とのことで、これではもはや教育の振興計画ではなく社会(=群馬県?)の振興計画の装いです。第2回計画策定懇談会の席上、ある委員から「何となく「まちづくり」キーワードに近い」という感想があったのも、無理からぬことです。
また、この「エージェンシー」をはじめ「ウェルビーイング」「コンピテンシー」など日本では浸透していない多義的な概念の用語を独特の解釈によって多用しながら、自らの「思い」を県民に示すからには、子どもや保護者、教職員、地域の人々をはじめとする県民全体の納得が得られるように明確な説明を丁寧に行う責任が群馬県教委にはあります。その点で、今回群馬県が「再定義」した「エージェンシー」を自らに対して存分に発揮し、「自ら考え、判断して責任ある行動」と「多様な価値観の中で、創造的な対話」を行うことを群馬県教委に強く求めます。
(7)P30~32「2 群馬の教育が目指す学習者像」について
実態と無関係な学習者像は「絵に描いた餅」です!
この項目では、最上位目標を5つの学習者像に分解し、具体化した目標にしたようですが、第3回計画策定懇談会の席上、ある委員による「学習者像②の「社会課題」はやや唐突では」との指摘があるように、「エージェンシー」の「再定義」と同様、社会(=群馬県)を無理矢理ねじ込んだ県教委独自の解釈に対しては、やはり委員も違和感をおぼえたようです。もちろん、個々の児童生徒が自分の意志によって「社会問題を自分事化し、行動に移す」ことに全く異論はありませんが、行政機関がそれを個々の児童生徒に求めるのは明らかに筋違いです。最近、学校の総合的な探究の時間などで試みられることの多くなった「地域課題の解決」に関するディスカッションでは、「お仕着せの地域課題を唐突に議論する必然性の希薄さ」「基本的認識不足による議論の浅薄さ」「議論のための議論に終始する不毛さ」「対外的にやってます感だけが残る空虚さ」「新規の行政用語に教育現場が振り回される徒労感」などが常につきまとい、この種の「課題解決型学習」に取り組まざるを得ない教員にとっては、まじめに考えれば考えるほど大きな悩みの種となっています。
このような実態に関する綿密な調査や分析もしないままに、「自らが主語となる学びをつくり、深めていく」「社会課題を自分事化して、行動に移す」「多様性を尊重し、互いに認め合う」「対話と交流により、信頼関係を深めていく」「生涯にわたり学び続ける喜びを実感し、共有していく」という聞き心地の良い学習者像を文字面だけ並べ立てたところで「画餅」に終わることは必然であり、その責任は計画策定者である群馬県教委以外に求めようがありません。
(8)P33~34「3 目標実現のために持ち続ける視点」について
教育は「社会を良くするための手段」ですか?
この項目では、目標実現のために持ち続ける2つの視点を掲げています。その「大人も、子どもも、社会的な“一人の主体”」「学校で、家庭で、地域で…自ら学び育つ、共に学び育つ」のいずれの視点も個人と社会との強い関連性をうかがわせる点で、この計画に通底した「教育は社会(=群馬県)をより良くするための人材育成手段」という、行政機関の都合を最優先した意図が一層露わになっています。
また、P31に引き続きP33でも同じ第3回外部ヒアリングでの意見がエピソードコラム的に紹介されていて、規模や形式は一切不明の意見聴取での若者や当事者の意見が、計画策定者の都合に合わせて利用されているようです。このような限定的な意見聴取の恣意的な利用ではなく、綿密な調査での結果集計と客観的分析をすることが今後の方向を指し示す真の「羅針盤」となります。この計画を策定するにあたって、これまでの計画に対する検証を含めた綿密な調査を実施せず、計画策定者の「思い」ばかりが語られることこそ、この計画に対する説得力と信頼性が著しく欠けている最大の原因です。
(9)P34~39「4 今後5年間の教育の重点政策(概説)」について
「群馬ならではのインクルーシブな教育」とは何ですか?
この項目では、2つの重点政策にそれぞれ5つの政策がぶら下がる事業ツリーが概説されますが、第3回計画策定懇談会の開始時点では2つの重点政策それぞれに4つの政策だったようです。その変更には、この第3回懇談会でのある委員による「「教職員の採用」と「働き方向上」を目立たせるため片方の重点政策にある政策を4つから5つに変えることはできないか」や「人的体制と物理的な施設整備を分けた方が伝わりやすい」という趣旨の意見が原案に反映されていると思われます。議論の過程で文言が変更されるのは当然ながら、第2回懇談会での「もうすでに「働き方改革」が進んできているところは「働き方向上」ではないかと思うくらい、進めてもいい」や「何となく「多忙化解消」というのはマイナスのイメージがある」という発言が、原案にある「働き方向上」という言葉につながっていることが読み取れます。
このように、策定者の「思い」もしくは「思いつき」ばかりが優先された文言が連なる計画では、子どもたちの学習実態や教職員の職場環境とかけ離れた内容になるのは当然です。P37の「教職員の多忙化解消、ワーク・ライフ・バランスの向上を含む「働き方改革」と併せて、教職員の「やりがい」や「意欲」の向上、教職の魅力向上のための施策を推進します。また、計画策定の時点では、「働き方改革」が適当な状況ではありますが、計画期間満了後に目指す姿として「働き方向上」としました。」は、文言変更のための苦しい言いわけとしか読み取れません。
そもそも、重点政策を「目指す学習者像の実現のための重点政策」と「群馬の教育を推進する基盤となる重点政策」の2つに分割する意図が不明です。議論の過程で重点政策間を移動した項目もあり、両者の違いは判然としません。これがきれいなツリー構造構築のためだとしたらそれこそ本末転倒というほかありません。
また、各政策には主なテーマが複数設けられ、あとの各論につながる構造ですが、P35の「政策a (1)自ら学びをつくる力の育成」とP37の「政策e (1)自分で考え動き出す〔課題解決能力の育成〕」のように非常に類似した内容がそれぞれ別項目で記述されていたり、P37の「政策e (2)デジタルツールを使いこなす(デジタル人材育成)」と「政策e (4)教育DX〔DXを基盤とした新しい学びの確立〕」のように同一政策内でも弁別がつかない内容の記述が併記されていたりしていて、きちんとした項目と内容の整理が必要です。
また、P35の「政策b (1)特別支援教育の推進」とP38の「政策c インクルーシブ教育推進に向けた体制整備」のように、それぞれ別の重点政策群にあってほぼ向かう方向性が正反対のテーマが併存していることも大きな問題です。この「インクルーシブ教育」に関しては、「国内外の先進事例を研究し、全ての子どもたちが協働する学びと、その子どもたち一人一人の教育的ニーズに応じた個別最適な学びを両立させた群馬ならではのインクルーシブな教育」とのことですが、国連から廃止勧告を受けている日本の特別支援教育を今後も推進する一方で、障害の有無に関わらず学ぶ者すべての人権と自由を実現するためのインクルーシブ教育も推進するということは、お得意の群馬県独特の解釈をもってしても至難の業でしょう。
ある委員からの「政策のナンバリングは、全体での連番よりも重点政策毎にした方が理系にはしっくりする」との意見を受けてか、2つの重点政策毎に5つの政策a~eのナンバリングを打ち、さらにその政策毎に主なテーマ(1)~(X)を付ける、という非常にややこしい表記方法には今後改良が必要です。また、記述の中には古いナンバリングがそのまま残っていることなど、ここでも公的文書としての完成度の低さが目立ちます。
(10)P41~74「Ⅲ 各論 (ア)目指す学習者像の実現のための5つの重点政策」
及び「(イ)群馬の教育を推進する基盤となる5つの重点政策」について
憲法と教育基本法に則った計画の再策定を求めます!
第3回計画策定懇談会で、ある委員から「各論を見ると普通の教育振興基本計画になっている」との発言があったように、いくつかの新規事業以外は新しい枠組みにこれまでの取組をそのまま落とし込んだものです。それは、今回の主なテーマ毎に示される具体的な施策の中に、第3期教育振興基本計画で挙げた43の取組の内容をほとんどそのまま踏襲していることからもわかります。
確かに、新しい取組を提起したところで現在の学校現場にそれを実践に移す余裕はありませんし、もし、その余裕があったとしても政策実行に必要な人的配慮や財政根拠が乏しいため、計画そのものが言葉だけの見かけ倒しであることを多くの教職員はすでに知っています。第3期教育振興基本計画の多くの目標が達成できなかったのは、コロナ禍のせいだけではないでしょう。
第3回計画策定懇談会での各論が網羅的であることに対する各委員からの所見を読むと、原案に対して概ね好意的ながらも、ポイントを絞った「おすすめ」を求めていることがわかります。県教委事務局が作成した原案では、「(ア)目指す学習者像の実現のための5つの重点政策」下に5つの政策とそれぞれの主なテーマが16あり、さらにその下に48の具体的施策がぶら下がります。そして、さらにその下に50の関連施策が連なります。「(イ)群馬の教育を推進する基盤となる5つ重点政策」では、5つの政策と主なテーマが10あり、その下に33の具体的施策がぶら下がります。そして、さらにその下に33の関連施策が連なっています。
教育現場に直接身を置かない委員にとっては、現実の姿を想像しにくいであろうこれらの膨大な施策群を前にして、手っ取り早い「おすすめ」を求めたくなる気持ちはわからなくもありませんが、その施策の大半について「自分事化して行動に移す」ことを今後求められることになる教職員や子供たちの姿を想起しながら、計画策定委員および群馬県教委事務局職員は今後の計画策定を真摯に進めてほしいと願います。
OECDによるウェルビーイングは、第一義的には個人のより良い暮らしの指標として考えられたもので、本来社会のウェルビーイングより個人のウェルビーイングを優先しています。しかし、文科省・中教審による「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」という文言に見られるとおり、日本流の解釈をすることで個人より社会、個々の幸福より協調による社会の幸福を日本政府は優先しようとしています。その考え方は、エージェンシーを「社会をよりよくするための意識と行動」と捉える「群馬県教育ビジョン(原案)」において一層顕著です。
現在、日本のウェルビーイング指数はG7中最下位にあり、ジェンダー・ギャップ指数に至っては世界146か国中125位にあることが指し示すように、現在の日本社会は人が人として生きにくい社会、「協調」の名の下で誰かの犠牲を強いている社会です。このことを認識した上で、憲法及び教育基本法にある「基本的人権の尊重」と「教育の機会均等」の理念に基づき、群馬県教育の享受者の視点に立った教育振興基本計画を、改めて一から策定しなおすことを私たちは強く求めます。 (以上)
☆上記の意見は、群馬県教育委員会へ送付すると同時に、ぐんま教育文化フォーラムのウェブサイトに掲載するほか、各報道機関へも通知することを付言します。